ディストピア・みらい

分断のみらい

「誰かをおとしめない」「分断を煽らない」が、チームみらいの価値観にはあるのだそうです。

馬鹿にしないでほしい。

「誰かをおとしめない」「分断を煽らない」という価値観を掲げるチームみらいが、最初期に出した政策案が、喘息治療薬の話でした。

この提案に対しては、もちろん総ツッコミが入りました。

医学的な面では耳鼻咽喉科専門医の音良林太郎さんによる指摘が客観的でわかりやすいでしょうか。

このときのチームみらいの政策案をそのまま解釈すれば「いままで予防の努力をしていなかった人には保険適用しない」になります。

ですがそもそも喘息というのは、常に症状が出ているわけではありません。さらに子供のころに出ていた症状が、成長しておさまったので治療や予防をやめた、と思ったらもっと高齢になってから再発することだってあります。

そのとき保険適用してもらえるのかもらえないのか、何割を適用してもらえるのか、誰が、どういう基準で決めるのでしょうか。チームみらいのAIに決めてもらうのでしょうか。現時点のAIが保険適用と判断したとして、そのAIは将来もそうだと約束してくれ、その患者に対して責任を取ってくれるのでしょうか。

一度でも喘息の症状が出たことがある人は、成長してから何年も症状が出ていなくても、明文化されていないAIの判断基準のご機嫌をうかがうことを考えてしまうでしょう。遠い将来に再発したときの治療を保険適用にしてもらえるよう、多くのケースでは何年も必要ないかもしれない予防治療をずっと続けようか…と考えてしまうかもしれません。

これがどれだけバカバカしいかは明らかですよね。国の医療費も、むしろ上がるかもしれません。

「いざとなれば保険適用でちゃんと救ってもらえる」という安心があるから、医師と相談しながら、治療や投薬を徐々に減らしていくこともできるのです。

弱者と分断

こういう提案を安易に出してくるのが、健康弱者に対する「おとしめ」であり、健康弱者に対する「分断の煽り」以外のなんでしょうか。

自分たちをおとしめ、分断する提案が出てくるたびに、敏感に反応して、いちいち止めることに、「弱者」は疲れています。

チームみらいの「分断を煽らない」は「彼らの目に入った分断・炎上にはさわらない」でしかなく、「誰かをおとしめない」は「幸運にも彼らの視界にいた『おとしめられた人』を救うポーズ」でしかないように見えます。

彼らの視界に入っていなかった弱者を、彼ら自身が踏みつけても、指摘されるまで踏みにじっていることに気づきもしないのですから。

「気づいていないことにはそもそも気をつけられない。しかたがない」とでもいうのでしょうか?

彼らの問題は「『自分たちは気づかないままに誰かをおとしめるかもしれない』自覚が希薄だ」ということです。

「自分たちが認識すらしていない問題がある」「自分たちの視界の外に弱者がいる」という想像力が根本的に欠けている、または最初から想像する意志がない。「自分たちがやることは気づかず誰かをおとしめるかもしれない、慎重に検討してから提案しよう」という発想を持っていない。

自分たちの無知に対する無知。

「上手な『仕組み』さえ作ってしまえばあとの個々の問題は自動的に解決される」とでも思っているかのようです。仕組みをうまく作ることにばかり夢中になって、個々の問題に向き合う意志がない。少なくとも、あるように見えない。

IT技術者にありがちでなタイプはあります。

だからこそ、視界に入った「話題性の高い目先の問題」に対する「思いつきの解決策」を、「それが誰かをおとしめ、踏みにじるかもしれない」とは考えもせず、堂々と拙速にご開陳してしまうのでしょう。

ジャーナリストの星暁雄さんによる、チームみらいのマニフェストに対する提案「人権状況の前進に関する項目の新設」はよい問題提起だったと思います。が、そのあとそこで起きている議論は、人権の「定義とは」とか「歴史は」みたいな話を中心に盛り上がっています。

もとの提案のタイトルが「人権」なので、そういう話になりやすい面はあるでしょう。ですがこれも「仕組みをうまく作ることにばかり夢中に」なって「個々の問題が視界に入らない」人が集まっていることを、端的に示す例であるように思います。

「ITスタートアップ経営者」としてはさして珍しくもない、典型的なありきたりです。

これが政党ではなく小さくスタートアップしたビジネスなら、この方針も間違いではないでしょう。小さなスタートアップの段階ではまだ、誰かを踏みにじる力も強くありませんから。

しかし彼らは、「誰かをおとしめない」「分断を煽らない」をスローガンとして掲げながら議員選挙に立候補し、実際には誰かをおとしめ、分断を煽るような提案をしました。

最初から「誰かをおとしめるかも分断を煽るかもしれない、それでも仮説検証を繰り返す」のように開き直った政党だったなら、それはそれで一貫性があったかもしれません。それなら私は、支持こそしていなかったでしょうが、こんなページを作って批判しようとまでは思わなかったでしょう。

「安野さんは本当に善人で…」という評価を見かけます。それを肯定する材料も否定する材料も私は持っていませんが、たぶん実際に、悪い人ではないのでしょう。

残念ながら、悪い人ではなくても無邪気に無自覚に弱者をおとしめてしまうことは誰にもあります。そして権力を持つ人間が「間違って」誰かを踏みにじってしまった場合、その傷痕は「謝って済む」大きさではなくなることがあります。

その自覚があるかないかで、政治家としての行動には大きな差が出るはずです。

彼らは後日、この政策案を撤回・謝罪しています。ですが撤回したところで、こういう提案を一度は出した事実はなくなりません。

「チームみらいはこんな考えかたを持っていて、安易にこんな提案を世に出してしまう団体なのだ」という評価まで、なかったことにはなりません。

「速い政府」

チームみらいは「速い政府」を志向しているのだそうです。

この「速い政府」の考えかたには、「自分たちが間違えても素早く軌道修正すればいい」のような考えかたも含まれるそうです。(チームみらいのマニフェストAIとおしゃべりしたところ、そのとおりだと断言していただきました)

「考えがまだまとまっていないではないか」とご批判を受けるリスクを積極的に取りながら、現時点の未熟なバージョンの公開に踏み切ります。

https://github.com/team-mirai/policy/blob/51133deea3620910fe1ab5aecc7021213564e923/01_%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3.md

この考えかたはソフトウェア業界で一般的ですし、IT技術者として共感する部分はあります。ですがそれは「ソフトウェアの間違いの多くは取り返しがつくから」でしかありません。

チームみらいの「間違えても軌道修正すればいい」は、「誰かを間違えてぶん殴っても謝ればいい」になってはいないでしょうか。

喘息治療薬の問題については、彼らに「ぶん殴られた」人たちが実際にいました。幸運にもこの政策案は、選挙の前にフルボッコされて取り下げられましたが、もし成立してしまったらどうなっていたでしょうか。「間違えても軌道修正すればいい」でしょうか?

もし仮に、低所得世帯の喘息持ちのお子さんが成立を見て「家族に負担をこれ以上かけるわけにはいかない」と感じ、命を絶ってしまったら。「間違えても軌道修正すればいい」でしょうか?

これを「そんな極論」と笑い飛ばせる人は、この想像をファンタジーだとしか思わない人でしょう。でもいまの日本では、これは現実に起こっても不思議ではないと思います。

そもそも「速い政府」などと謳いながら、チームみらいはこの政策案の撤回と謝罪を正式に発表するのに一週間もかかってるんですよね。

党首の安野さんがこの政策案を𝕏に投稿したのが6月17日。

「喘息治療薬に関する政策検討の投稿に対するお詫びと訂正」の投稿が6月25日でした。

喘息治療薬に関する政策検討の投稿に対するお詫びと訂正
https://note.com/annotakahiro24/n/n5765c890b00e

平時の一週間ではなく、「参院選の投票当日まであと一ヶ月」という状況での、貴重な一週間です。しかも、議会のように「複数の利害関係者と議論して説得しなければならない場」を通しての撤回に一週間かかったのではなく、「党首みずからが党として発信した」政策案、つまり身内しか関係ないのに、それを撤回するだけのことに一週間もかかったのです。

そんな政党が「速い政府」などと主張したところで、どこに説得力がありますか?

チームみらいは、自分たちが犯したこの「間違い」について、危機感がなかったのでしょう。重要な案件ではないし、撤回を急ぐ必要もない、と認識していたのでしょう。

これを優先度の高い案件だと認識していたのなら、みずから「速い政府」を主張する「優秀な」彼らが、撤回に一週間もかかるはずがない。つまりこれは、自分たちがおとしめた弱者について「対応する優先度が低いと考えていた」ことの傍証でもあるでしょう。

「政治家が『本当に考えている』ことは発言内容よりも行動に表れる」とはよく言ったものです。

もしそうではなく「重要だと認識していたのに一週間もかかった」というのなら、優秀じゃなくて無能なんじゃないですか。すくなくとも「速い政府」の実現など期待できないでしょう。

「広聴」

広聴AIという「幅広い膨大な意見をまとめ、意見の分布を上手にマッピング・可視化する」技術があり、その開発・公開に関与している、というのがチームみらいの売りの一つだそうです。

IT技術者として、この技術が無益だというつもりはありません。使うべき人が、適切な使いかたをすれば、とても有用な技術であるのは確かでしょう。

でもいくら「上手に聴く技術」を持っていたところで、最終的に解釈する人間が「声を聴く意志」を持っていて、「問題を『問題だ』と理解する感受性」を持っていなければ、役に立たないんですよ。

むしろこの技術自体についてあえていえば、「大多数の人は『これは問題ではない』と考えている」「これを『問題だ』と考える人はこんなに少数しかいない」のような主張を可視化をもとに展開し、少数意見を押しつぶす目的にさえ使えてしまいます。

そして「『自分たちは気がつかないまま誰かをおとしめているかもしれない』という自覚」が彼らに欠けているのは、ここまで述べてきたとおりです。

GitHubとプルリク

「チームみらいはみんなの意見をプルリクで集めている」「異論がある人はプルリクで(またはAIを通して)contributeしよう」と彼らは主張しています。

一方で「都合のいいプルリクしかマージしない」とも周辺から言われていますね。

集める道具がGitHubなのもよく問題とされていますが、そこは枝葉末節だと私は思っています。(改善はしたほうがいいにせよ)

根本的な問題は、彼らはプルリクで"contribute"を集めるだけ集め、「聴いたフリ」をして、自分たちに都合のいい、人気が取れそうな提案だけをcherry-pickしておいて、「自分たちはみんなの声を聴いているから『民主的』なのだ」という顔をしていることです。

2025年7月20日午後5時半現在、チームみらいマニフェストのリポジトリプルリクは「8,432 Open 344 Closed」だったようです。それだけかよ。

しかもそのClosedの中でMergedは192しかありませんでした。さらにそのMergedの内訳をざっと見ると、リンクの追加やワークフロー修正のような内部的な技術的な変更が3〜4割、スペルの修正や表現の微修正のような些末な変更が3〜4割、政策内容を根本的に変えたり追加したりする変更は、せいぜい2〜3割のように見えます。

有権者が候補者・政治家に声を伝えようと思ったとき、「聴く技術がある人」だからという理由でその候補者を選んで声を伝えるわけではありませんし、「技術を持つ人」だからという理由でその候補者に投票するわけでもありません。

「『聴く技術』を持つという政治家に声を伝えること」と、「その技術が自分の声を『その候補者による理解』および『その候補者の政治行動』につなげてくれるかどうか」は、独立した別の問題です。

その候補者が問題を理解する意志と感受性を持っていなければ、いくらAIが上手に可視化したって、その声が候補者に「伝わる」ことはありません。

AIがどれだけ上手に可視化してくれても、「なにを問題として取り上げるか」に恣意性が入ることは避けられません。

むしろ、その恣意性こそが候補者の感受性を示しているともいえます。

チームみらいは「声が届かない政治を終わらせる」と主張してるけど、届いてるのはAIまででしょ? 「中の人」の脳みそにまで、本当に届いていますか?

有権者が見ているのは、候補者が「自分の声をどれだけ理解してくれそうな感受性を持っているか」です。「どれだけ『望ましい恣意性』を持っているか」とも言い換えられるかもしれません。

弱者をおとしめて踏みにじり、それに気づきもしなかったチームみらいの「感受性」を、信頼できますか?

「広聴AI」の出力を中の人の脳みそに直接ブチ込めるんだったら、少しは期待していいかもしれませんが、そうもいきませんよね。

馬を水場に連れて行く「技術」があっても、その馬に水を飲ませられるわけではありません。

中立性

「みんなで議論をする場」があること自体は、いいことでしょう。ただしそれは、「特定の政党の管理下にあり特定の政党のマニフェストへの加筆修正を目的とする特定の政党に偏った場」ではない、中立な場が、です。

チームみらいのGitHubは「特定の政党の管理下にあり特定の政党のマニフェストへの加筆修正を目的とする特定の政党に偏った場」でしかありません。

そういう場があること自体は悪いことではありません。ただそのことを、チームみらいはもっと明示的にしなければならないし、有権者はもっと理解しなければならないでしょう。

たとえばSNSなど公の場でも、チームみらいに対する議論は、批判もふくめて多くなされています。そこでチームみらいの関係者が、チームみらいのGitHubがあたかも中立な場であるかのような風で"You can contribute"などと持ちかけるのは、少なくとも公正とはいえないでしょう。

たとえばチームみらいは、聴いたフリをしてそのcontributeを無視するだけで、その人がcontributeに使った労力を無駄にすることができます。

またチームみらいは、「チームみらいのAIと対話して」とアピールしています。ところで、そのAIに話しかけた人を特定の方向性に誘導するような偏りがないことは、証明できるでしょうか?

といっても現実にAIを上手に「偏らせる」ことは、まだ技術的にも難しいです。本当にそんな偏向をさせたりは、今はしていないでしょう、たぶん。でも将来は技術的にも可能になるでしょう。そしてやろうとする人間がいることは、既に実例が示してしまいました。

「私は機械版ヒトラー」と名乗ったAI「Grok」はイーロン・マスクの偏見で意図して作られた
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2025/07/560905_1.php

参院選の結果を受けて

現在のチームみらいが今のノリのままに一定の権力を得れば、世の中が「ディストピアなみらい」になってしまう可能性も無視できないと、私は真剣に思っています。チームみらいに行った票が、今回の参政党に行かなかったことは、せめてよかったとも思ってはいますが。

ですが、チームみらいがこのまま「エセ・分断を煽らない」を続けていれば、たとえばその参政党と仲良しになって「日本にもグレート・ファイアーウォールを作る必要があります!」みたいなことを言い始めたって、極端ですが不思議はないとも感じています。

そう感じる程度には「人の話を『聴く』気がない」ように見えているんですよ。聴いたフリだけ。

国会に議席を得たのです。そして国会の議席は、票を入れた支持者だけのものではありません。

議席を得たからには「エセ分断を煽らない」ではなく、真に分断を煽らない政党になってください。ここで挙げてきたような指摘・批判にも、ぜひ向き合ってください。

支持しない有権者も、支持する有権者も、チームみらいがこれからやることを「監視」しています。

え? You can contribute?

「聴く気」が本当にありそうだったらcontributeしたかもしれません。でも、どうせ聴いたフリして無視するでしょ、というか無視したし、無視してるでしょ。

無駄な労力を費やすくらいなら、公開で外部から批判をぶつけたほうがいい。そう考えたからこそ、このページを作ったのです。

Pluralityなんでしょう? だったら「議論する場」そのものが「複数」あってもいいはずだし、むしろそれは望ましいことのはずですよね?

「チームみらいについての議論はチームみらいが管理する場でしか認めない」なんて言わないよね?


さてこのページについてですが、今後さらに多くを追加しようとは思っていません。短くない人生、チームみらいにばかりかまってはいられないので。

ただ、もう数記事程度は書くことがありそうだと思っています。またそのうちに。